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【どいつもこいつもw】 要するに右も左もみんな揃って思考停止でヤプー状態の似非市民様って事よw

2012年07月24日 22:13

大東亜以後、日本を似非国家と堕した要因は“多々”あるのだが、中でも早急に解消しなければならぬが今後永久に継続しかねない要素をかいつまんでみる。



【10秒で読む日経】2012/7/24

●東京電力福島第1原子力発電所事故の原因などを調べてきた政府の事故調査・
検証委員会(畑村洋太郎委員長)は23日午後、最終報告書をまとめ、野田
 佳彦首相に提出した。被害が拡大した根源的な問題として「東電も国も安
 全神話にとらわれていた」と指摘。危機対策の練り直しを促した。一方、
 事故の直接原因は地震ではなく津波だったとの見方を示し、国会の事故調
 査委員会(黒川清委員長)と判断が分かれた。

                     日本経済新聞 7月24日 
__________
佐々木の視点・考え方
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄      
★過去、三陸沖でマグニチュードが8以上と推定される大地震があったのは
 2011年を除けば869年、1611年、1896年、1933年の4回。

 我々にとって重要なのは、4度ともその前後20年内外で、関東にも大地震
 が発生したし、西日本にも東海・東南海・南海が連動する大地震が発生した
 という事。

 つまり、三陸沖大地震が起きたからには、今後20年以内に関東と西日本でも
 巨大地震が起きる確率が高いという事。

 特に東海では、これまで100~150年周期で大地震が発生していたのに
 これまで157年も音無し。つまり、今日起きても不思議ではないし、そう
 なったら関東・東南海・南海へも波及する。

 日本列島にはこうした連動する災害が必ずやってきたという事実を基に災害
 対策を立てるのが必然の場所なのだ。

 また、原発事故はそもそも事故原因の解明が不可能だ。放射線量が高くて、
 人間は近づけないし、カメラや測定器も壊れてしまう。現物を見て調査を始め
 られるのは事故後数十年経ってからしかできない。

 航空機・自動車事故なら、現場検証をし、壊れた機体・車体や部品を解析し
 て原因を解明し、改良に役立てることはできるが、原発ではそれができない。

 また、電力会社も営利会社だ。安全を考えてコストを増やしたら損をする。
 事故や自分の過失は隠すのが絶対の善だ。深刻な問題が起きても、原子力ムラ
 の中で闇から闇へ葬り去られる。
 政府の審査官はど素人だし、天下りポストで完全懐柔下にある。

 こんな環境下で、「撤退論議や」「事故の直接原因」等の重箱の隅を突いても
 何の意味もない。来るべき関東大震災が起きたら、官邸や霞が関が残っている
 かすら不明なのだから。

 「災害は起きるもの」「人が作り、人が動かす原発に事故はつきもの」「電力
 会社は安全は2の次にする」「監督官庁は天下り最優先で何でもやり過ごす」
 という厳然たる事実を前に、これを前提に原発政策は作られたか、監視・監督
 対策は真面目に作ったかを調べるしか、事故調査委員会の意味はない。

 この事実を前提に、事実を振り返るという反省をしなければ、調査は単なる
 作文だ。

 事実確認も反省する気が無いから、どうでもいい調査報告書の前に新しい
 原子力の組織を作り、事故に多大な責任がある人物を長に据えたのだ。

 電源喪失後に残る最後の安全装置「非常用復水器(IC)」について「1号機
 の全運転員はIC作動の経験がなかった」と言う恐ろしいことを言う会社が今
 も存在できるのが非常識極まりない。
 http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2012/pdf/jikocho/honbun.pdf

■冒頭に書いた、「三陸沖大地震が起きたからには、今後20年以内に関東と
 西日本でも巨大地震が起きる確率が高い」という事実を知らないか無視して
 いる人はそんなに多いのでしょうか。




大津いじめ自殺 教育長が「こっちも被害者」と発言

 大津市の中2男子生徒(当時13、以下「被害少年」)の自殺から約9カ月たったが、今回の被害少年の死に至るまでの経緯を見たとき、断じて許すことができないのが、大津市教育委員会の対応だ。

 本誌は取材中、大津市の澤村憲次教育長のとんでもない話を聞いた。

「例のいじめのアンケートについても、今回大きく報道されるまで詳細について澤村氏は内容を把握していませんでした。なぜなら、報道で詳細がわかると『え、こんな内容?』とびっくりするような感じで話していましたから」(別の市職員)

 澤村氏が教育部次長だった当時、パソコンから個人データが漏洩する出来事があった。そのときの様子を前出の市教委関係者は振り返る。

「澤村さんが『マスコミにばれなきゃ、たいしたことじゃない』『マスコミが騒ぎすぎる』という話をしていた。今回も『どうして騒ぎが大きくなるのか』『こっちも被害者』『なぜ今ごろ、警察がしゃしゃり出てくるのか』『いじめが自殺の原因だなんて認めていないのに、この報道はおかしい』と不満げな表情で市教委幹部に言っている」



一見無関係に見える二件だが、見事に共通する項目がある。

1:“閉鎖的環境”内の出来事
福一“事件”自体もそうだが、あくまで“事件”を“事故”と強弁するに“閉鎖的環境”は事の隠蔽改竄あらゆる自己都合にとって“好環境”と言う事である、結果は言うまでも無い。

2:当事者自覚の欠如
読んで字の如くだが、殺人電力及び中学校関係者と言う“事件当事者”が責任逃れをしでかすのは立場上自己保身の為と言う事である意味当然の反応だが、其れを追跡調査して今後の防止策を講じるべき立場の者まで提灯的対応しか行っていない、政府事故調と国会事故調の結論が正反対なのはさておき、あくまで“事件性”隠蔽の為に『何故非常用電源全ロスト』と言う致命的状況に至ったのか、その根源として『震災前までの設備状況不備の有無』については、肝心のマーク1自体の“欠陥性”からの追求について如何なる報告なのか?‥“いじめ”と言う言葉遊びで其れが恐喝暴行傷害自殺教唆等の“事件”である事から逃れる為に、上記記事の登場人物は如何なる対処をすべきか当事者としての自覚があればいちいち問うまでも無い話だが、結果は言うまでも無い。


要するにこれら“日本の病巣”の根源はヲレが散々書き続けている能力も資質も何も無い分際で閉鎖的環境と言う“温室”の中で利権はシッカリ握るが責任は一切背負いたく無いと言う中世貴族の如くの性質を生み出し、コレまで何ら糾弾も“参政権”を行使した改善も、事なかれ主義的且つ怠惰にやり過ごした結果に過ぎないと言う事だ。



そしてこの無能無責任の行き着く先は何事も人任せで自分勝手を極め、かつてマッカーサーが『ナチスドイツは大人として“確信犯的”に欧州侵略にユダヤ迫害を実行したが、日本はまだ未成熟故に“勝手が判らぬ内”に大東亜進出を行った』と言う俗に言う“少年国家”から成長しなさいよと述べて半世紀をとっくに過ぎた現在、幼稚どころか“白痴”に呆けるに至ってるのである、この記事がその証明では無いか?

「ただ乗り」が日本を食いつぶす
脱原発・反増税を求める万年野党の伝統


「脱原発」を求める大衆運動が盛り上がっている。ソーシャルメディアの普及で、動員が容易になったためだろう。多くの人々が社会に関心を持つのは悪いことではないが、脱原発が政策として正しいかどうかは別の問題である。

 7月16日に東京の代々木公園で行われた「さようなら原発10万人集会」には、主催者発表で17万人が集まった。動員したのは労働組合だが、主役は大江健三郎氏、瀬戸内寂聴氏、坂本龍一氏といった老年の芸術家で、集まった人々の平均年齢も高かった。「原発を止めろ」というだけで対案のない運動は、戦後の「何でも反対」の万年野党の集大成だ。

「たかが電気」という錯覚

 中でも話題を呼んだのは、坂本龍一氏の次の発言だ。

 言ってみれば、たかが電気です。たかが電気のためになんで命を危険にさらさなくてはいけないのでしょうか。[中略]お金より命です。経済より生命。子供を守りましょう。日本の国土を守りましょう。

 彼にとっては「たかが電気」かもしれないが、最も安定した電源である原発を止めると、古い火力発電所が止まったら大停電が起こり、病院などで命が失われる。そのリスクは、1000年に1度の巨大地震で原発事故が起こるリスクよりはるかに大きい。

 実は火力発電の健康リスクは原発より大きく、採掘事故によって世界で毎年1万人以上が死亡し、大気汚染で数十万人が死んでいる。

 「お金より命」というのも錯覚だ。日本の平均寿命は1900年には44歳だったが、今はその倍近くに延びている。経済の発展によって食糧が増え、医療が発達したからだ。現代でも、十分な医療を受けられる所得の多い人ほど寿命が長い。お金がないと、命も守れないのだ。

 ただでさえ衰退している日本経済で原発を止め続けると、燃料費の負担だけで毎年3兆円近くが失われる。人々はますます貧しくなり、多くの命が失われるだろう。

 それを無視して「原発がなくても太陽光発電がある」という坂本氏の発言は「パンがなくてもケーキを食べればいい」と言ったマリー・アントワネットと同じである。

心情倫理に傾斜する野党

 脱原発と並んで人気なのは、反増税だ。民主党の小沢一郎元代表が離党して、新党「国民の生活が第一」を立ち上げたが、その会見によれば、反増税と脱原発を掲げて選挙を闘うつもりらしい。

 社民党の福島瑞穂党首は「小沢新党との連携も視野に入れている」と語り、鳩山由紀夫元首相も足並みをそろえ、民主党からも離党者が続出している。

 このように政策手段を自己目的化し、「戦争はよくないから軍隊は持つな」とか「税はよくないから減税しろ」といった主張を、マックス・ウェーバーは心情倫理と呼んだ。

 政治はその手段として国家権力による強制を使うので、手段のよしあしは政策の基準になりえない。問題はその結果に責任を負う責任倫理だ、と彼は当時の社会民主勢力を批判した。

 日本でこのような心情倫理を担ってきたのは、かつての社会党に代表される「護憲勢力」だった。それは中選挙区のもとで政権につけない万年野党が、費用と便益のバランスを無視して「非武装中立」などの非現実的な政策を掲げてきたからだ――というのが、かつて小沢氏が小選挙区制に変える政治改革を行った理由だった。

 しかし、その小沢氏が万年野党に路線転換したのだから、問題は選挙区ではない。最大の原因は、日本の政治に根強いただ乗りの伝統だろう。

 日本の国会はもともと立法機能を持たず、8割以上の法律は官僚がつくってきた。自民党の政治家は、官僚の立案した政策にただ乗りして、公共事業などを地元に利益誘導するのが仕事だった。

 社会党は、その恩恵にあずかれない労働組合などの利益を代表して、「弱者救済」や「福祉国家」を求め、費用を考えないで自民党の政策にただ乗りしてきた。

民主党政権は「ただ乗りの総決算」

 このように短期的な利益が分かりやすく、長期的な負担が分かりにくいとき、前者を追求して他人(あるいは政府)の負担にただ乗りするモラルハザードは、合理的な行動だから、政権交代で生まれた民主党政権が同じような行動をとるのも不思議ではない。

 「コンクリートから人へ」を掲げた民主党政権が実現したのは、バラマキ公共事業からバラマキ福祉への転換だった。彼らは自民党と同じように財政破綻のリスクを無視して財政赤字を膨張させ、社会党と同じように負担を無視して社会保障を膨張させたのだ。いわば戦後政治の続けてきた「ただ乗りの総決算」である。

 原発も増税も、好きな人はいない。原発はない方がいいし、税金は安い方がいいに決まっている。国民投票で決めろと言う人がいるが、国民投票をやって「原発も税金もゼロがいい」という結果になったら、公共サービスはどうするのだろうか。電気代も年金も、誰かが払ってくれると思っているのだろうか。

 いつまでもただ乗りを続けることはできない。税収は本源的には国民の所得であり、稼いだ以上に使うことはできないのだ。いま日本政府が、稼ぐより1000兆円も多く使うことができるのは、次の世代に負担を先送りしているからだ。

 しかし日本の労働人口は毎年1%ずつ減り、これから超高齢化社会になると、現役世代の負担はどんどん膨らんでゆく。人々がただ乗りしているつもりの日本経済は、泥舟になりつつある。それが沈んで財政が破綻すると、全員が溺れてしまうのだ。

 財政が破綻するのは、遅くとも10年以内と見られているので、団塊の世代も逃げ切ることはできない。そろそろ目を覚まし、方向転換を考えてはどうだろうか。



“即脱原発”については“子供の無い物強請り”の一言に尽きる、官邸前で御花畑宴会をするのは勝手だが‥

“即脱原発”を実行するに、その後の日本の在り方の“提示”が無いが‥

それは“即脱原発”を実行する“覚悟”を持たぬその場の勢いや思いつきを振り回すだけ、と言うのは‥

“即脱原発”を実行し且つ現状の文明状態を求む場合に必須な代替発電の“提示”が無い事から明らかだ。

つまり‥

デパートの玩具売り場で『この玩具欲しい』と
泣き喚く子供の振る舞いそのものと指弾されて
彼等は如何なる反論をするのだろう?


‥ヲレは是非知りたいのである、一方“批判者”についてもその多くが“電気は欠かせない=原発は必要=即脱原発反対”と言う短絡の愚を展開するのだがなれば一つ問いたい事がある、現在設置される原発の多くが地学的に不適切な場所にあると言う報告が多々ある中で現状のまま何ら手を打たず再稼動を行い、“懸念”が現実となった場合の責任を背負う“覚悟”はあるのか?

福一の“事件”について断言可能な立証が何ら実在しないので断言は危険だが敢えて現状“判明”している事からの判断として、実は福一は“震災”には耐えていたが後の“津波”で非常用電源全ロストに至り後はご存知の通りとなったのだが、その非常用電源について触り程度の“不備”の指摘はあるが、その“不備”の根源的要因について何ら指摘が無いと言う現実の中で、今後の“対策”を講じる事が可能なのか?可能なら如何なる方策があるのか、その程度の“提示”をせぬで有耶無耶に『電気は必要再稼動』と“収束”する事が本当に“今後の日本エネルギー政策”の糧たる事なのか?

片や無い物強請り、片や有耶無耶の収束、これ等に共通する事で本質的な事として採り上げるべき点は、思考停止又は思考放棄では無いかと言う事を提示したい、原発賛成反対共に事の本質追求は面倒なのか不明だが“それぞれのマニュアル”に従う行動しか行っていないと言う点に於いて見事に共通してるとは思わないだろうか、之は多様性の容認が“売り”の民主主義にとって極めて危険な事である、誰かの扇動に何ら疑問批判を“思い付く事”すら無く乗っかる“思考放棄のタダ乗り体質”の行く末にあるのは歴史の書の多くが示す通り結果として自分に災いがもたらされるだけでは無いか?


つまり何ら思考しない社会にはアンチテーゼも無く行き着く先は翼賛体制か無軌道な分裂体制と言う事だが、今日取り挙げた話について単に『原発再稼動の是非』とか『教育現場の責任体質問題』と言う表面的な観点でしか“眺めない”のであれば、日本に“次”は無い、そんな事を思った記事だよコレ‥って辺りで今日の駄Blog終わり。





オマケ:そして“思考停止なマニュアル似非市民”が生み出した国家寄生虫と言えば‥
此処まで国を貶めて尚自分の生活第一
‥本当に『苦渋の思い』をしたのなら対価が“たったの百万”では安過ぎでは無いか?尤も適当自分の生活第一でマニュアル的に賛成した報酬なら“既に歳費として握ってる”筈では無いか?もうね、国体護持の上で日本を救う手段は極右的民族主義に則ったクーデターしか見出せない気すらする、しかし民主主義国民である以上、それだけは絶対手を出してはならぬ“危険な果実”と言う事も歴史の書は示している、要するに詰んじゃってるって事なんだが、ど~なんですか民主党に為政を任した糞馬鹿ヤプー愚民の皆様、自前のエゴを満たせて満足ダロ‥ってか満足と言って頂かねば本当に救い無ェのよ、ヲレがw
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